この天満宮は、元禄13年(1700)創建の丸山町の氏神様で、昔から“身代り天神”と呼ばれ親しまれてきた。“身代り”と呼ばれるのは、創建者の安田次右衛門が、ある夜何者かに襲われ左脇腹を槍で刺され倒れたがどこにも傷がなく、その代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流していたことによるのだという。また、丸山の遊女達も身代を“みだい”と呼び、自分の生活に苦労がないことを願って参拝した。なかにし礼の小説『長崎ぶらぶら節』の主人公である丸山芸者・愛八もよく参拝していたゆかりの神社だ。
『長崎ぶらぶら節』舞台となったことを記念して、ゆかりの地である梅園身代り天満宮の入り口付近に、なかにし礼氏の書を刻んだ記念碑が建立されている。
梅園というように、お宮は梅の木にとり囲まれ、節分を迎える2月上旬頃から咲きはじめ、3月上旬まで多種多様な梅の花を楽しむことができる。境内には歯痛狛犬や梅塚、撫で牛が点在し、歯痛狛犬は歯の痛みがある者が狛犬の口に水飴を含ませるとたちまち痛みをとってくれると伝えられているため、現在でも参拝客により口の中に飴が詰められている。
住所:長崎県長崎市丸山町2番20号